2020-06-01 第201回国会 衆議院 政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会 第3号
きょうは、松下政経塾の先輩である高市大臣とこの委員会の場で議論することを大変うれしく思います。 もう今から三十年以上前の話になりますが、一九八八年の民主党の大統領選挙に女性として立候補されたパット・シュローダー下院議員のもとで高市先輩は働かれて、そのときの活動の模様を私は日本で非常に関心を持って見詰めていました。
きょうは、松下政経塾の先輩である高市大臣とこの委員会の場で議論することを大変うれしく思います。 もう今から三十年以上前の話になりますが、一九八八年の民主党の大統領選挙に女性として立候補されたパット・シュローダー下院議員のもとで高市先輩は働かれて、そのときの活動の模様を私は日本で非常に関心を持って見詰めていました。
私の前任、二〇〇九年の政権交代のときに初当選した京都五区の女性議員がおりまして、その人が松下政経塾出身ということで、宮川先生も松下政経塾ということで、応援に、実は二〇〇九年の総選挙の、事前活動ですけれども、入っていただいたということがありました。それを、私、全然存じ上げなくて、亡くなられてから知りました。
あなたとは松下政経塾で学びましたけれども、もう一回松下政経塾に行って原点を確認してください。とんでもないと思うし、しかも、これは政治的行為でしょう。私、隊友会の顧問もさせていただいているけれども、そこも政治的行為をしていた。本当に規律が緩んでしまっている。 これはニューヨークの市長だったジュリアーニさんがおっしゃっています。
御通告いただいておりませんけれども、私はこの表の中に入っておりませんが、大学と松下政経塾へ行きましたときの七年以外は、三十一年間、山梨県にずっと住んでおりますので、この表をもってして、全て、地方のことがわからないということは言えないのではないかなというふうには思っておりますけれども、一つの分析としては参考にしなければいけないというふうに思っております。 以上でございます。
私も松下政経塾の出身でございまして、小野寺大臣の後輩ではございますけれども、松下幸之助の言葉にも、今後の日本は、単に物の面を豊かにするということだけでなくて、もっとお互い心の面の向上を図っていくことに大きな力を注がなくてはならないのではないだろうかと。中略で、それがすなわち、ここでいう精神大国ともいうべき国の姿だと考えられるのであると。
私ごとですが、私にとってもこの岡山はホームでありまして、政経塾の同室の先輩が逢沢一郎、私たちのデビューは、天満屋さんの前でマイクを握ることが私たちの政治家デビューであります。また、きょうお見えでございます江田五月参議院議長のもとで、私たちは、市民がつくる政策調査会を始め、さまざまなチャレンジをさせていただきました。本当に岡山県民、市民の皆様にお礼を申し上げたいというふうに思います。
十五年前に、私、松下政経塾の塾生のときからロンドンに何度も赴き、そういった報告書も書き、そして、ようやくこういう立場を得て、党の方にようやくそういったプロジェクトチームを立てることができたと、こういう状況なのでありますけれども、まずはお伺いしたいのは、各省、これも簡潔にお願いしたいんですが、日本の魅力の海外への発信、こういう事業について、それぞれどういうことをしていただいているのかということを、外務省
○丸山委員 たしか十年ぐらい前ですか、二〇〇六年ぐらいに、いわゆるにせメール問題というのがありまして、堀江メール問題とか永田メール問題とかいうお話がありまして、そのときに、当時、代表をお務めであった、私の政経塾の大先輩でございますけれども、前原先生が代表をやられているときにその話があって、最後は残念ながら代表をやめられるという話になりました。たしか永田議員も辞職されたという話だったと思うので。
○黄川田(仁)分科員 松野大臣におきましては、松下政経塾以来、日ごろから御指導をいただきまして、ありがとうございます。こうして松野先生が大臣となられて私が質問するということに対して、私は大変うれしく思っている次第でございます。 私が政治家として心にとめている言葉があります。それは、国民の強さは弱い立場の人たちへの福祉によってはかられるという言葉でございます。
目の前に委員長がおられるので、政経塾時代からのあれはありますけれども、私はとんでもないと思いますよ。 大臣が紙も持たずに、あるいは協定の内容も知らずにお願いする、それはどうかなと思うんですけれども、この覚書について、この重要性について、大臣の御認識を伺いたいと思います。
日本の三大塾と言われる慶応義塾、松下政経塾、あと河合塾というのがあるんですけれども、私も河合塾に通っていたんですけれども、予備校も今は入る人がいなくなって、変容していく時代です。 大学が全入、定員割れという中で、一方で格差も起きているんですね。地方においては、大学に行きたいけれども、やはり都会に出すしかないから、経済的な理由で断念をするというミスマッチが起きています。
若者の、つまり、さっき原因を問われたので、この中でも何人か松下政経塾出身の議員がおられますけれども、松下政経塾の入塾審査というのをお手伝いさせていただいたんですけれども、応募者減っているんですよね。だから、いろんな意味で、政治、今不人気になってきていると思います。
これも私は、松下政経塾以来十数年にわたってこの日本の文化、海外への発信というものに対して自分なりに取り組んでまいりました。私は、日本の文化行政というのは世界にもまれに見るほど戦略がないというふうに考えております、これはもう残念ながら戦略がないと。
松下政経塾の先輩でもいらっしゃる小野寺防衛大臣に、そのあたり、国家百年の大計をどのようにお考えなのか、お伺いできますでしょうか。
国土交通省として一体的に取り組んでいただくことをお願いを申し上げながら、実は、宮城県の村井知事、私、松下政経塾で同期生でございまして、三年間、同じかまの飯を一緒に食ってまいりました。
田村大臣、私は、議員になる前は高齢者福祉を大学で教えていましたし、秋葉さんも政経塾の後輩だから知っていると思いますが、私、二十年以上前から介護問題をずっとやっています、老人ホームで実習して。 田村大臣、これは大変なことですよ。住みなれた地域で高齢者を支える、これが日本の厚生労働行政の大方針じゃなかったんですか。
小野寺防衛大臣は、我が党の中田宏代議士とも同じ松下政経塾の御出身で、中田代議士がベビーシッターもされていたというようなお話も読ませていただきました。でも、本日は、そういったことにとらわれず、しっかりと質問をさせていただきたいというふうに思います。
私は、実は小野寺防衛大臣とは松下政経塾の同期です。私は、こういうやり取りをしていること、お互いが違う立場とはいえ、本当に時間もたったし、長い付き合いですからよく分かっていますが、ただ、大臣の人柄も信じていますが、こういうときですので少し厳しく言わせていただきたいと思います。 要は、これ、五日間も掛かると中国側にも国際社会にも日本は言ったんですよ、その証拠をしっかりと固めるのに。
○原口委員 総理、私は、小野寺さんとは随分長い、松下政経塾でも一緒ですから、今の答弁はやはり叱らないといかぬと思いますよ。実際に、政府の中で情報を共有し大臣が知ることと、外に公表し抗議をすること、これは全く別物ですよ。最高指揮官が六日も知らない、ましてや、そのつかさである小野寺防衛大臣が知らないということはあってはならないんですよ。私はそのように思います。
そういう意味では、この半世紀の平和と友好の関係また経済繁栄におきましても、経済的な部分でも、松下政経塾の創立者の松下幸之助先生が中国に工場進出をされて向こうにも大変な貢献をされたという歴史もありますし、非常に今の事態を残念に思っております。